「自分を生きる」2023年あけましておめでとうございます!
/新年あけましておめでとうございます!
2000年から、すでに23年が経ち、地球と世界、人類の有り様も新しい局面に向かって、創造的に変化する年になりました。
これまでの、銀河発信、太陽発信、地球発信的な変化から、今年は、私たち人間発信の、創造が求められる変化のフェーズに入っていきます。それも、政府や、国や、グループからの発信ではなく、一人一人からの発信による創造と変化のフェーズです。
以下に、自分を生きるというフォーカスについてと、独自に表現する勇気について、書かせていただきました。
自分を生きる。
自分を生きることで、世界を創造でき、世界に貢献できます。だから、今年は特にそれにフォーカスして、歩みを進めてまいりましょう!
私ならどうするかを、書き綴って見ました。みなさんはどうでしょうか?
皆様の方向性を感じることができますように、この投稿を読んでくださる方に、無条件の愛と一緒に、自分に正直になれる勇気が湧くような、覚醒の波動をお送りさせていただきます。
自分の気持ちと願いに誠実になる。
自分への優しさを持って、気づきに向かい合う。
自分の感じていることに気づく。
自分の感情に向かい合う。悲しみも怒りも、何にそう感じているのかも。
その感情を感じている自分を、離れて見る。客観的に自分はどう見えるか。
感情や体感は、私たちが何を求めているかを気づけるためのサインだから。
自分が求めているもの、あるいはその可能性を、一つずつ受け入れる。
でもこだわりすぎることなく、ただ認識して、手放していく。
大事なことは自然に見つかり、私達は自然に行動できるものだから。
そうしてまず、自分の喜びが、自然に見つかる。
自分の喜びが見つかったら、自分が喜べることをできるだけ選ぶ。
自分が喜べる人生ができていく。
自分の使命が果たせる人生になっていく。
自分が生きられる人生になっていく。
独自な道、一人で歩き始める道もある。
新しく生まれるもの、まだ世界にないものは、
他者に受け入れられにくく、時には自分でも自信がない。
でも、自分が生きるための道がそれだと思う時には、その道を歩いてみよう。
自分の道は、時としては、筋が通らない直感のようなものでもある。
数学で最初に答えが現れて、それを証明していくときのように、
筋は後から通せばいいのだと思う。
一番大事なのは、「これだ!」と感じた自分の直感。
それがちょっと違っても、その方向に歩き始めたら、
もっと強い確信が持てることにも出会えるようになる。
自分の直感に筋を通すこととは、世界を創造すること、
そして、現実を創造すること。
どうすればいいかなんてわからない。
でも、歩き出してみよう。
世界と現実を、自分の直感に向かって創造するとき、
まだない価値からの無価値感や、筋が通らないことへの無明の中で、
歩き続けた時、
気がつくと、理屈を超えて全てと一つになる瞬間にいる。
最初の直感と違う答えにたどり着くこともある。
でも、歩き始めないと、たどり着けない。
「嬉しい気持ち」や「愛」を感じられるのなら、
どうしたら嬉しいのかにアンテナを張って、
自分の「愛」をコンパスにして、
夜明け前の暗さを通り抜けよう。
独自になる孤独、魂の闇夜、
それも受け入れたら、そう長くない。
言葉も理屈がなくても、
喜びと愛を頼りに、
新しい自分を創造しましょう。
正しい時には、言葉や理屈は後で出来上がってきます。
では、今年も、自分と宇宙を信じて、一歩ずつ進んでまいりましょう!
独自に表現する勇気
私はロンドンに住んでいるのですが、最近ロンドンのテイト現代美術館に、セザンヌの展覧会を友人と見にいきました。何気なく出かけた展覧会でしたが、独自であることの勇気についてのメッセージをもらうものでした。
多くのアーティストが、セザンヌの作品を見て、勇気をもらい、自分の独創的な画風と確立していったことを知りました。
セザンヌ自身は、恥ずかしがり屋で、ヌードモデルを雇う代わりに、写真や美術館で見た彫刻の模写から作品を作っていたようでした。いろんな意味で、「普通はこうする」などの常識に惑わされることなく、人気を取ることに惑わされることもなく、自分の情熱にしたがって活動した画家だったことがわかりました。
実はこの人生で初めての模写は、中学生の時で、セザンヌの果物のある静物画の油絵の具での模写でした。自宅で、学校から帰ってきての夜に描いたものでした。以下に、マティス、ピカソの言葉とその絵を添えます。
セザンヌ: アーティストのためのアーティスト
「自分探しをしていて、新しく気づいていくことに怖くなり、疑心暗鬼になっているとき、自分にこう言い聞かせるんだ。『もしセザンヌが正しいのなら、私は正しい』って。だってセザンヌの作品には、一つも間違いが見当たらないのだから。」アンリ・マティス
五人の沐浴者
パブロ・ピカソも独自の画風とキュビズムの流れを作り出す上で、セザンヌの作品の、色や構成に対する革新的アプローチからの影響に、大きく助けられた一人だと言える。ピカソは言う、「セザンヌは、僕の唯一の師匠なんだ。芸術家なら誰でもそうだと思う。彼は僕達の父親のようなものなんだ。僕達を守ってくれているのは、セザンヌなんだから。」
三人の沐浴者
経済的に困窮しながらも、アンリ・マティスは、フランスの美術商だったアンブロワーズ・ヴォラールからこの作品を購入した。その後マティスは、この作品をプティ・パレ美術館に寄贈する際に館長に宛ててこう書いている。「このキャンバスを所有してきた37年間に渡り、アーティストとしての創造的冒険で起こる様々な危機や決定的瞬間を乗り越えることを、この絵が助け続けてくれた。私が、自分を信じて、辛くてもやり通すことができたのは、この絵のおかげだった。」
マティスは、その恩恵を他者と共有するために、この作品を美術館に寄贈したようです。セザンヌの作品の多くは、多くの芸術家の所有を得て、美術館に入ることも少なくなかったようです。
「ルーブル美術館は、私たちが読むことを学ぶための本のようなものだ。しかし、輝かしい先駆者たちの美しい方式にしがみついて満足していてはいけない。」ポール・セザンヌ、1905年の言葉
どんなに先駆者の方法が素晴らしくても、それにとらわれることなく、私たちは自分独自の表現を見出していかなくてはならないと言うことですね。セザンヌの作品は、そうしたメッセージを伝えると言う、芸術作品が持つべき「癒しと覚醒役目」を果たしているのだと思います。
どうぞ、皆様、良いお年を!
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
心からの愛と感謝をこめて
朝倉裕美子